zinsei

今思えば、人生の難点と言うか、上手くいかない原因と言うものがはっきりと見える。

その当時は、気づかなかったし、それについてとても悩んでいた。

いま、人生を俯瞰でみれる余裕ができて、そして自分の人生を見たり、

そして他人の人生を想像してみたりして、勝手に納得感を得たりしてる笑

 

人間は生物で、人生を思うがままに操る事はできないものだ。

縁起というか、何か運命に操られて生活している、たとえそれに気付いていなかったり、

またそれを認めない人も多い、というかほとんどがそんな人たちだろう。

 

でだ、そこで自分の人生を真に振り返ってみようと思う。そして納得感をまた得たいし、

あなたの人生を振り返る上でも、何か僕のこの文章が役に立つかも知れない。

最近、振り返りが多いけれど、まあいいじゃないか、そういう時期なんだから。

 

幼少期の頃だ、まずこの時期に父親との関わりの記憶がない。

強いていうなら、僕の苦手な何かをやってきたり、はたまた僕の喋り方なんかを馬鹿にしてきていたな。

当時は、気づかなかったが、あれはかわいがりでは無くて、ただ僕をサンドバッグというかストレス解消に使っていただけだったな。

まあ、それでも僕はそれで喜んでいたと思う。

いきなり、これがうまくいかない原因なのだが、僕は嫌なことをされても、それに対して反抗することができなかった。

父親からほぼ日常的に嫌がらせをされていたのだが、それを嫌がらせだと思ったり、それに対して反抗したりする事はできなかった。

いや、最初の頃は反抗したり、嫌だと言っていたとは思う。

でも、子供に嫌がらせをするような父親だ、そんなことをすればもっとやられる。

だから、僕は反抗できなくなったんだと思ってる。

もちろん、母親はそれを止めなかった。自分に矛先が向くのが嫌だったのだろう。

 

これを書いている途中でいろんな嫌な思い出が蘇ってきたが、年表どおりかいていく。

 

祖父母の家ではよくゲームをしていたな。

でも、おれさ下手だったんだ。

いや、本当はゲームで失敗した方がみんな喜んでくれるから、無意識的に何か失敗をしていたのかも知れない。

これは今でも続いているように思う。

何かに全力を尽くして何かを達成することよりも、簡単に人に構ってもらえる方法。

もちろんそれで得する事はないのだが、そんなことよりも僕は他人に構ってもらえる方を選んだ。

それも無意識で。

人との関わりが恋しかったんだろうな。

人と、心がつながった経験がないのだから。よく考えてみれば、自分の行動は全て他人と関わりたかったかだろう。

 

あとさ、僕には出来の良い兄がいた。

身長も運動も勉強も、全てにおいて、うまくいく人間だった。

そんな人間と比べられて、勝てるはずがないし、勝てるイメージなんて1ミリもなかった。

だからそんな僕でも、他人に構ってもらうためにはダメ人間になる必要があったのだろう

ダメ人間でも、怠惰でいれば、説教でもいいから他人に構ってもらうことができるって学習したのだろう。

 

もう少し時を進めようか。

小学生に上がった頃だろうか。

夫婦喧嘩が増えた。

目の前で打たれる母親を見たこともあるし、兄が殴られるところだって見たことがある、

僕は従順だったので、そんな事はほぼなかったが、一度だけ蹴られたことがあったように思う。ちょっと忘れてたけど。

 

その影響か、僕は学校で喧嘩が起きたりすると、その仲裁役を買って出ていた。

そのことをはっきりと覚えている。

それは単に僕の正義感からでは無く、家での止められない夫婦喧嘩の代用のようなもので、

それを止めることで、何かを自分の中で解決しようとしていたのだろう。

もちろん、学校で喧嘩を止めたからと言って、夫婦喧嘩を止める事はできなかった。

よくあることだが、夫婦喧嘩があるのはダメな自分のせいだと思い込んでいた。

だから、真面目に、迷惑をかけずに、完璧であれば、きっと夫婦喧嘩がなくなり平和に暮らすことができるって本気で思っていたんだ。

 

でも、その甲斐もなく、夫婦喧嘩はどうにもできず、

そして学校でなぜか虐められるようになった。

正義感を振り回して喧嘩を仲裁しているような人間で、その上なんか残念な見た目をしていたからだろう。

そりゃ虐められる。

虐められるが、夫婦喧嘩ばかりの親に相談できない。最悪の環境だった。

いや、正確に言うと、「自殺したい」って一度だけ言ったように思う。

それはもちろん気を引くためであって、本気ではなかったのだが、

でもそれに対して過剰なまでの対応をされたため、それ以降もう相談する事は無くなった。

 

今思えば、この辺で無力感を学習したのだと思う。

何をやっても僕は何も変えることができない、努力しても無駄って。

 

それ以降の人生は、悲惨だったね。

無力感を抱えているから、嫌な人との関わりを断ることができなかった。

関われば不幸になる人間と、何年も過ごすことになった。

相手は僕を友達と思っていたかも知れないが、僕は一度もそう思った事はなかった。ごめん。でも、それが真実。

 

もちろん、その一瞬一瞬において、楽しいと感じる瞬間もあった、でも総合的に見て、それはない方がいい期間であった。

妥協、無力が僕の人生だ。

 

さあ、また時を進めようか。

僕の人生最大の、苦しかった期間かも知れない、小学三年生。

誰にも助けてもらえない、いじめ、それも担任、クラスメイト、そして親から。

苦しいと言う感覚も当時は持っていなかったかも知れない。

ただ、その場しのぎで、一日怒られなければ万歳って感じだったかな。

勉強も、どん底、宿題もしない、忘れ物も大量にある。

何にもできない自分。

苦しかっただろうな、自分。

 

相談するなんて言う選択肢もなかった。

虐められて当然の自分、そんなんだから余裕もなくて、忘れ物が多いのも、宿題ができないのも当然のことだったろう。

経験のある教師なら、そんなことも見抜けるのだろうが、相手は生憎若くそして自らも生徒をいじめるような人間だった。

だから当然頼ることなんてできない。

大人にさえ虐められるのだから、当然大人を信用することもできなかった。

 

僕にはほぼ、仲間はいなかった。

強いて言えば、一人だけ親友と言えるような人がいた。そしてそいつとは今でも、きっと仲良くできることだろう。

ああ、よくあるやつで仲良すぎで、連絡を取らなくなるやつだ。

 

そう言えば、女子にさえ虐められていた。

仕返しもせず、ただニヤニヤしているような人間なんて、格好の的なのだろう。

性格も、顔も何もかもそいつらは不細工だった。今思えば、家庭に余裕がない貧乏家庭だったのだろう。

弱い人間をいじめるのは、そいつよりちょっと強いくらいの弱い人間だと思う。

今思えば、虐めてきた人間は、塾で忙しい人間や、貧乏な家庭が多かった。

 

まあ、それは自分にも当てはまる。

余裕のない人間だったから、学年が上がってクラスが変わって調子に乗ったのか、

ある人間をいじめるようになった。

いや、まあ、そいつは学年全員から虐められるような人だったからいじめというよりも、

ある種のゲームみたいなものだったのかも知れない。

 

あ、その前に父親のひどい虐待について思い出した。

寝ているときに、体を触られたりするんだ。

もちろん、僕は男だ。

だからと言って、嫌悪感がないはずがない。

父親である、本当なら僕を守ってくれるはずの人間に、凌辱されたのだ。

触られただけだろって言う人もいるかも知れないが、それだけでも僕の自尊心を破壊するには十分だった。

 

それ以降、自分の存在を恥じるようになったように思う。

自分は恥ずかしい人間で、誰にも受け入れられる事はないって言う信念を持ったのかも知れない。

 

人前で話すのも、スポーツをすることも、踊ることも、歌うことも、

全てが恥ずかしかった。

逆に心を許した人間と話したりするのは、とっても心地よいものだった。

 

ただ、本当に心からの本音を、完全に出せる人には、多分出会ったことがない。

なんとあく、相手が欲しいであろう言葉を言ったり、はたまた自分が言いたいだけの言葉を吐いたりするだけの関係は、本音の関係とは言い難いだろう。

 

本音の関係とは、相手のためになることを言えることだと思う。

それはただ”優しさ”だけの関係ではないから、時に聞きたくないであろう言葉まで言わなければならないのだ。

それは、”優しい”人間にはできないものだ。

 

まあ、それはいい。

本題にまた戻ろう。

 

小五はいい時だった。

とても落ち着いていた。

だからほとんど問題がなかった。

 

問題は小六だ。

この時期は、思い出したくないほどに、残酷な時期であった。

いろいろあり、また両親からの関心を引けなくなり、

それでも関心を引こうといろいろ試行錯誤をしていたな。

でも、そんな甲斐もむなしく、ほって置かれていた。

いやあ、まあ今思えばほって置かれているほうが、まだマシだったかもしれない。

 

時に、八つ当たりもあった。まだ小学生なのだから、まあちょっと変なことも思いつくじゃないか。それを叱られた、変なことって言っても関心を引けなかったことから来る、何かだったのだけど。

まあ、それのおかげで、半日くらいずっと正座をさせられた。

よくわからんが、あいつにとって、それは拷問だったのだろう。

 

まあ途中で止めてくれた人もいたのだけど。

いやあ、懐かしいね。

そのころは、クラスでもいじめられていた。

障害者用トイレの中に数人で入って、そしてその中で僕が一発芸をする。

僕は恥ずかしがり屋だったから、その反応が面白かったのだろう。

今思えば、あれはいじめであったが、担任は気づくはずもなかった。

 

もちろん、彼らと完全に仲が悪いわけじゃなくて、時に仲良くしていた時もあった。

だからそのせいもあるのだろう。

でも僕には辛かった。

 

しんどい。

 

そのころはスポーツも上手くいかなった。

そもそもしたくてしてるわけじゃないから、上達しない。

発達障害や家庭のストレスから来るものなのかで、

運動はできなかった。

体をうまく動かすことができないのだ。

ある種、イップスのようなものだったのかもしれない。

とにかく、普通の人が練習すればできるような動きが尽くできなかった。

その上自分は数年スポーツを続けて来ていた。

 

だから、普通に考えれば、試合に出てちゃんと活躍するのが普通だろう。

でも、自分はそれができなかった。

挙げ句の果てには、メンバーから外され、その上親に来てもらって

お前の試合風景をビデオに撮ってもらえなんて言われたな。

 

惨めで、どこにいっても居場所がなくて、苦しい一年間だった。

その頃、自傷行為もしていた。

と言っても過激なものではなく、でも心理学を学んだ人ならその兆候を見逃すことはないであろうことだ。

僕も気づかずにそれをしていたし、それを見た親はそれについて馬鹿にして来ていた。

 

やめろと言って来たがその原因はお前だったのだよ。

 

まあそれもどうでもいいか。

 

その頃確か自分は好きな人がいた。

と言っても恥ずかしがり屋だし、声をかけることはなかったけど、まあたまに話す程度でも嬉しかった。

でも、すぐ顔が赤くなるもんだから、あいつのこと好きなんだろってちょっとしたいじりもあった。

 

本来、人を好きになることは神聖なことで、馬鹿にされるものではないのだが、

でもその時は親にもそう言うふうに馬鹿にされていたし、クラスでもそんな感じだったから、人を好きになることは悪いものだってなんとなく感じていたと思う。

でも、今思えば、もっと真剣に、小学生ながら、ちゃんと恋愛に取り組めばよかった。

 

少しでもいいから、自分の心の支えになるものが欲しかった。

ただ、君はありのままでいいって言ってくれる人がいるだけでよかった。

 

でも、現実が真逆だった。

自尊心のかけらもなかった。

 

そして中学生になった。

まあ、多少のしんどいことはあったけど、二学期くらいまでは順調だった。

 

でも、成績が悪かったもんで、それについてビシバシ言われたことを覚えている。

辛かった。いつもはほっておいたくせに、そう言う時だけ口を出してくる父親を、

嫌に思った記憶がある。

 

中二のクラスは最低であった。

いつもニヤニヤしている、気持ち悪い3人組がいて、そいつらが本当に嫌いだった。

そしてその中の一人にちょっとした嫌がらせをしたことを覚えている。まああの程度で許してやっただけ、マシだと思え!

 

 

その頃から、LINE掲示板を使って、女の子と連絡をするようになった。

多分そうだった。

そこで出会う女の子とはことごとく、残念な家庭で育ち、愛情を求めてそんな場所に来ていたし、それをわかっている俺天才、そして簡単にそいつら落とせるって思ってた。

まあ、実際、そこで出会った人たちと会ったりすることはなかったけど、

なんとなく適当に恋愛関係になったり、可愛い写真をたくさんもらっていたと思う。

 

まあ、その写真をもらうことが目的ではなく、自分のために面倒な写真を撮ってくれるって言う何か、支配をしているような感覚が好きだったのだと思う。

 

でもよく考えてみれば、自分の方がおかしかったんだよな。

俺の方が愛情に飢えていた。

だから、そんな場所で、女の子を適当に扱って、満足していた、

それに全く気付けなかった。

 

寂しくて、相手をして欲しくて、恋人が欲しくて、満たして欲しくて、

だからそこにいた。

ひどいこともした、。

 

でも、やめれなかった。

確か、受験の時にやめたのかな。

 

そのころはストレスが意外に溜まっていたのか、

学校でも問題を起こしていたように思う。

 

ま、、どうでもいいな。

 

高校に入った。

で、あまり記憶がない。

高一、中のいい女子ができたくらいかな。

その子とよく話していた。

僕がちゃんとした男であれば、ちゃんと告白して付き合えたのだろう。

今更だけどね。

 

部活動も、まあまあうまくいっていたと思う。

下手くそだけど、Aチームにちょっと行ったり、

ちょっと褒められたり、まあ中学時代とは比べ物にならないくらいだったと思う。

部活動に関して、ここで全部書いてしまおう。

 

ずっと文句を言っていたと思う。

劣等感や、いろんなものから来るもので、。

そしてとんでもなく、ストレスに弱かったから、試合ではイップスのような状態になっいた。

 

まっすぎにパスが投げれないし、ドリブルもできない、シュートもできない、

イージーなシュートも無理。

 

最悪の選手だったろう、そしてその上傲慢って。

 

でもそれでも僕をまあまあな頻度で使ってくれていたし、

なんならスタメンにまでしてくれた。

でもダメダメだった。

 

なんであんなに緊張する体質だったのだろうか。

でも、これも自分の実力を発揮したにもかかわらず、この程度なのかって言う、

そう言う風に思われるのが怖かったのだろう。