執着は煩悩で、

何かに執着して、

そしてそれが手に入らない時、

あなたはどうする?

 

僕の場合は、その欲しかったという気持ちを、

なんとか抑えようとするし、

別のもので、補おうとするだろう。

 

でも、最初の欲しかった気持ちは消えていないね。

だから、苦しい。

苦しいから欲しくなる、でも手にはいらない。

 

こんな時、どうすればいいのだろうか。

 

理由をつけて、手に入らないことを正当化する?

確かに、大人なら、そうするかもしれない。

 

いやあ、そもそもそれが欲しくなくて、

酸っぱい葡萄的に捉えるかもしれない。

 

 

で、それで楽になれる?

楽になれるのならいいのだけど、多分無理だよね。

 

 

そんな時に、するべきなのは、

その欲しいという気持ちを受け止めて、

受け入れること。

 

確かに手に入らないことに変わりはないけど、

でも少し落ち着けると思うんだ。

 

でも、よくよく考えてみると、本当に欲しいのじゃなくて、

実は、別のものが欲しかったりしてさ。

 

欲しいという気持ちを抑え込もうとすると、

それは暴れる。確かに力が強ければ抑え込める、

でもそれは暴れ続ける。

 

だから、その気持ちを抱きしめる。

確かにあれ欲しいよなあって。

 

欲しい、でも無理だから諦める、というのは多分ループするんだ。

だからずっとそれを考え続けてしまい、苦しい。

 

でも抱きしめると暴れない、その気持ちは受け止めてもらえたと満足して、

きっと落ち着く。

人生の、ポイント

人生、多分何か使命なものがあるんだろうって、

最近思う。

逃げても逃げても、見ないようにしても、

その使命についての問題が襲ってくる。

しにたいし、泣きたくなるし、それを見るだけでも苦しい。

だから、真正面からではなく、横から戦おうとするけど、

それだと、絶対に勝てない。

 

恐怖に打ち勝って、真正面からそれを見ることができれば、

その問題が意外にも小さく、そして倒せる敵だと気づける。

でも、そこに至るまでは、多分人によっては超遠回りで、

フルマラソン5回分くらい、走って、やっとそこに辿り着ける。

自分もそうだった。

逃げ回って、もう大丈夫だろうって時に、急にそいつが飛び出してきて、

そして、結局戦う羽目になった。

 

で、その遠回りが、意味がなかったものかっていうと、絶対にそんなことはなくて、

いや、まあその時の自分からすれば、無駄なものなのだけど、

その遠回りの期間に、必ず、その敵と戦うために必要な、

思考、武器を手に入れているはずだ。

 

あとは、戦うだけだ。

このままじゃ。

このままじゃ、本当に駄目な人生を送ることになる。

僕は、覚醒したい、目覚めたい、

やりたいことをやりたいように、人生を生きたい。

人生を、生きたいだけなのに、邪魔される。

でも、邪魔をしてくるのは、親や先生や、家族や友達や、

そんなものではなくて、自分の弱い心だ。

 

弱い心が、誘惑してくる、「どうせ無理だからやめとけ」って。

頑張ったって、お前には無理だから、適当に流して行こうぜって、。

 

強い心が欲しい、信念が欲しい、これのためになら命をかけられるものが欲しい。

それのためなら、僕は死んでもいいと思ってる。

いや、それがない人生は死んでるも同然か。

 

どうやったら・信念が出来る。

自己決定権、

自己を決定するのは、誰だ?

そう、俺だ。

 

確かに親の言うことを聞いて、今まで生きてきたけれど、

でもその親の言うことを聞くと決めたのは、俺だ。

 

だから、俺が悪い。

いや、この事実はとても苦しいものだ。

苦しくて吐きそうだ、体が痛い、苦しい。

ずっと、背中に何か痛みを抱えて生きてきた。

 

これって何なんだろうか。

 

もっと、真剣に自分の人生に、相手の人生に向き合えばよかった。

 

なぜ、それができないのか、それは信念がないから。

このために、これを達成したいんと言う、大きな信念がないから、

苦しい人生を生きてきた。

 

俺は、なりたいものがあって、それになるだけの素質と、経験と、

心はあったけど、絶対にそれになるって言う信念がないんだ。

 

このために、これになるって言う、大きい信念を、

どうなりたいのかを決めるための基準、プリンシパルが無いんだ。

俺は何になりたい、どうやって生きたい。

0

ゼロから、始めるんだ。

僕の人生は、ここから始める、始まる。

 

親に押しつぶされて、僕は死んだような人生を送ってきた。

ほぼ全てのことを諦めて、適当に怠惰に生きてきた。

どうせ何をやっても無意味で、だから頑張っても仕方ないし、

頑張らないんだ〜〜って、クソだな。

 

やっても見ないで、本気でやらないで、どうせ無理って、何を、

何のために生きてきたんだ。

お前、生きている意味あるのか?

あ?

それでも、人間か?

人生を、生きるんだ。

人生の制約というのは、ほぼない。

でも、中には、人生は生きづらいものだという人もいる。

逆に生きやすそうに、楽しそうに生きる人もいる。

 

なんでだろうか?

僕は人生生きづらいと思って生きてきた、。

生きている。

 

いや、実際のところ、人生を生きている感覚を味わったことはほぼない。

ずっとしんどかった。

自由がなく、ずっと窒息しているような感覚で、

でもその自覚がなかったから、人生は窒息しているものだと思ってた、

だから、そこから抜け出そうなんて感覚がなかった。

 

自分が我慢していれば、ただ、窒息していれば、

人生は、転がっていくって思ってた。

でもさ、もうそれをやめようと思うんだ。

 

僕の人生は、ずっと水の中、水の中で溺れながら、生きてきた。

そりゃ、死にたくなるんだよ。

そりゃ、捨てられるよ。

 

俺だって、本当は、本当はやりたいことがあるんだって思ってきたけど、

でも、もう無理だっていう感覚もあって、

そのせめぎ合いで、疲れてきた。

 

だから、今日から、いや今年から、生き方を変えようって思ってるんだ。

だって、死んだような人生を送り続けるよりも、

生き直して、瀕死でもいいから、生きたいんだよ。

 

それが無理なら、僕は死んでもいいって思ってる。

失敗を恐れて、

人は、失敗を恐れることで失敗する。

もちろん、失敗を恐れるなということではない。

にんげん、普通に、失敗は怖いものだ。

それは一流の人間だってそうでしょう。

 

イチローだって、結果が出ない時はきっと怖かったと思う。

でもさ、打席に立ったときに、そういう感情はなかったはずだ。

きっと打席に立った瞬間、恐怖ではなく、

集中して、バットを振ったはずだ。

 

そう、準備段階で、失敗を恐れることはいいことだ。

だって余裕かましてたら、きっと練習しないでしょう?

でも、本番はべつだ。

本番はそれのみに集中するべきだ。

だって、そうじゃないと、どうでもいい考えが浮かんで、

何もできなくなっちゃうじゃんか。