恋、

恋と喪失、

最近、恋が終わった。

いやまあ、当然の結果だ、

相手のことを思えず、何もできず、

ただ失った。

それでも喪失感がすごい。

運命であれば、それは、まあいつか戻れるんだろうけど、

そんなのあるのかな。

 

まあいい、でも、これでいろんなことに気付けたんだ。

しんどいけれども、いつか受け入れなければならず、

ただそれを受けれるには、自分は幼すぎた。

子供の自分。

でも、ちょっとその苦しい真実に向き合うことができた、

まだひきづっているが、もっと向き合って、乗り越えたい。

自己保身ではなく、抜本的改革のために、自分に向き合いたい

しんどい時には、

しんどい時は、豪遊して寝よう。

しんどい、だから自分の好きなことをしよう。

しんどくなる人ってのは、大抵他人に優しくて、

自分に厳しい。

 

だから、休んだり、自分の好きなことをすることに罪悪感を抱いて、自分を休めることができず、最終的に潰れていくんだ。

 

で、それって結局優しくなくないかな。

優しいって難しくて、相手のためになることをすることだと思うんだ。

だから、それで潰れて他人に迷惑をかけるのって、優しくないよね。

もっと言えば、その頼まれごとだって、あなたが断れば多分その人が自分でやるよね、

それをあなたがやることで、その頼む人の能力の成長の機会を奪っているとさえ言えないだろうか。

 

で、それって本当に優しいわけ?

本当に?

 

それって優しいんじゃなくて、ただ嫌われたくなくて、怒られたくなくて、

ただ自分のことが大好きで、自分を守りたいだけじゃない?

ねえ。あなた本当に優しいんなら、

 

ちゃんと休んで、寝て、回復して、

頼まれごとも、相手のために断って、

自分のために生きてみれば?

変われるかなんて、どうでも良くて、

きっかけって、あるよね。

変わるきっかけ、

あれってさ、なんであるんだろう。

 

最近、本当に変わりたくなるような出来事があって、

それについてよく考えているんだけど、

本当にしんどいんだよね。

 

でも変わりたいって思うんだ。

運命と、

運命というのは、あるのだと思う。

最近思うようになった。

 

嫌なことを避けて、どうにか逃げて生きてきたけど、

結局、その避けてきたことに向き合うことになる。

逃げても逃げても、結局引っ張られて、

同じ場所に戻ってくる。

 

あああ、もっと早く気づいとけばよかった。

俺は、もう遅いのだろうか。

いや、遅くない。多分。

 

遅いってのは言い訳で、ただ動きたくないから、

ただサボりたいから、もう遅いなんていうんだ。

 

そんな奴なんて、結局、若い時に戻っても、

何も変わらない。

変わる人間はたとえ、それが死ぬ前日であろうと、

変わることができる。

 

それはなぜか、それは、、、

変わりたいと思うからだ。

 

変わりたいという思いには、買われるかどうかなんて関係ないことなんだ。

買われるかどうかなんてどうでも良くて、ただ変わることを目的に、

それのみに注力するから、変わることができる。

 

変われないのは結局、自分が可愛いからだ、。

 

お前、変われよ

 

一点集中で。、

一点集中で、燃やせ。

心を一つに、体をその方向に向けて、全てを出し尽くす。

 

太陽のエネルギーもそうだ、虫眼鏡で一点集中することで、

紙を燃やすことができ、肉を焼くことができる。

ここからが、俺の人生だ。

俺の人生、ずっと惨めだった。

家庭環境は悪いし、友達にも恵まれず虐められる、。

スポーツと言うか体を動かすのも苦手、

勉強もできない。

 

恋人もできないし、全然ダメな人生だった。

そしてそれは、なぜだと思う?

 

そう、全部、周りのせいにして来たからだ。

そして、そうすると、努力する意味がなくなってしまう、だから努力しない。

なぜって、努力しても結果が出るかは、他人の影響を受けるんだ。

だから、努力することがなくなるんだ。

 

じゃあ、どうすればいい?

お前はどうする?

そうだ、全部自分で責任とって、自分で決めて、自分で行動するんだ。

そしてその結果を、全部自分が受け止める。

 

自分で結果を受け止めるから、自覚が生まれる。

自覚がないから、自分の人生を惨めにしてしまった、

そして周りの人も不幸にしてしまった。

 

ごめんな、今まで関わって来た人。

でも、俺変わるんだ。

 

ここからが正念場ですよ。俺。

家族という呪縛

家族は、呪いだ。

たぶんみんなもどこかで聞いたことがあるだろう。

 

いや、言葉は呪いだとさえ言えるかもしれない。

そう、言葉にはそれ自体だけでなく、

何か別の意味が勝手に付けられていたり、

また自分で勝手に付けてしまったりする。

 

家族だから仲良くするべきだとか、助け合うべきだとか、

大切にするべきとかね。

でもよく考えてみれば、それは家族と言うものではなく、

家族に勝手に抱くイメージでしかない。

 

元はと言えば、家族とは、

「同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。」

でしかない。

 

でも、それなのに、さっき言ったようなイメージを家族と言う言葉に対して抱いている人は多いだろうし、自分もそうだった。

 

そして、現実がそうではないから、そのギャップで苦しんだ。

だって、嫌がらせをしてくる家族を大切にできるわけがないでしょう?

 

もし、それが家族でないなら、単に警察を呼んでいたことでしょう。

でも、家族だから、耐えたんだ。

無力なのではなくて、ただ、そう言うものだと思って耐えた。

 

ずっと我慢して来たけど、もうダメ。

だから、家族と言う言葉のイメージを、洗う。

洗脳されて、家族とはこうあるべきって教え込まれて来たけれど、それを洗って、

もう一度、家族と言う言葉の意味に、立ち返る。

 

家族とは、ただの同居人なのだ。

ただ、血が繋がっているだけであって、ただの他人でしかないのだ。

 

だから、もしあなたが家族と言うものに苦しんでいるのなら、

家族と言うイメージから連想されるものを、一度洗濯してみよう。