過ぎ去ったのでは?

過去、そのまま読むと、過ぎ去ったもの。

 

しかし、その過去に現在、はたまた未来まで操られてしまうような人もいる。

過ぎ去ったのに、なぜ?

いや、違う、その人にとってはそれは過ぎ去っていないのだ。

 

トラウマになるような経験をした人ならわかると思うが、トラウマの瞬間というのはまるで昨日の事のように思い出せることだろう。

冷凍された食品が長持ちするように、トラウマの記憶も長持ちする。

 

逆に、楽しかった記憶なんてのは、ほとんどに人間は覚えていないのではないだろうか。体育大会とか、音楽会とか、学級会とか、小学校の時の楽しかった記憶なんてのを鮮明に覚えている人間なんて、ほぼいないはずだ。

 

で、この違いはなんだろうか。

これは僕の仮説でしかないが、経験されたものは脳が記憶から消してもいいよって命令を出しているんではないだろうか。

ウェイトレスなんかが長い注文でも簡単に覚えて、そして商品を渡すときまで誰がどの注文をしたか覚えている、だが渡した後には注文をほぼ覚えていないっていうのを聞いたことがある。

 

これと同じではないだろうか?

経験されず、瞬間冷凍されたままであるから、鮮明に覚えている、

じゃあどうすればいいのだろうか。

 

それはやはり、解凍して、食べてしまうしかないのだろう。

 

きっとそのトラウマの瞬間のあなたは、恥ずかしいとか悲しいとか怒りとか

いろんな感情を感じなかったはずだ、だって瞬間冷凍したからね。

それは、防衛本能として、とっても正しい。

助けてもらえないような壮絶な環境で、感情を表に出してしまえば

どうなるかわからないし、むしろもっとひどいことになるかもしれない。

だから、何も感じず、何も見せないように隠した。

 

でも、それのせいで今も苦しんでいるのなら、どうにかするしかない。

それもちゃんと、その過去の記憶を取り出して、そしてその時の感情を、

味わうしかない、想像でいい。

 

きっととても辛いことだろう、でもその感情を当時の自分は抑え込んで、

それを無かったことにしたんだ。

そりゃもちろん、影響受けないはずがない。

もしかすると、感情はよくないものだ、とそこから感情を消してしまった人もいるかもしれない。

 

でも、感情は人間の根元、それがなければ、だめだ。