頑張れないのは、
自分はずっと、これまで頑張ることができなかった。
小学生の頃から同じスポーツを続けてきたが、下手くそだ。
初めてスタメンになったのは、高校二年生の時、そして下手くそだからすぐに外された。
勉強も、そうだ。
ずっと成績が悪かった。小6の時なんて、同じ漢字のテストを何度も受けさせられた。
算数も、中学生になるまで、分数の割り算掛け算を理解していなかった。
高一の時なんて、数Aで13点をとった。ギリ欠点にはならなかったな。
大学受験の時もそうだ、勉強が手につかなかった。
いきたくも無い大学に行くことに対しての、モチベーションなんてあるわけがない。
何とか合格して、大学に行くものの、何にも得ることができなかった。
その頃の夢は、山にこもって、一人で生きることだったっけ。
まあ、要するに努力できない人間だったのさ。
頑張ったって、どうせ無理なんだから、頑張るのは無駄。
みたいに斜に構えてるクソダサい人間だった。
でも、ふと思った、なんで自分は頑張れないんだろう。
やりたいことがないから?やりたいことじゃないから、努力できない?
いや、それは違う、だってそれならやりたいことを見つけて、それに向かって
努力すれば良いだけじゃんか。
でも、それをしない、しなかった。
努力できないんじゃなくて、
選択的に、努力をしない。
選んで自分は努力をしないんじゃないだろうか。
じゃあ、それってなんで何だろうって話。
前提として、それを行うと言うことは、それから何かを得るメリットがあるのだろう。
つまり、努力しないことを選ぶことによる、メリットがあるはずなんだ。
僕には兄がいるのだが、そいつには何をやっても勝てなかった。
勉強も、運動も、ほとんど何もかも。
だからさ、努力したってどうしようもないんだから、この土俵で戦うのではなくて、
別の土俵で戦うって選択したんじゃないだろうか。
勉強や運動でもなく、ただ兄に勝てる土俵。
考えてみれば、僕は家での居場所を探していたんだと思う。
夫婦喧嘩の絶えない両親、できる兄、できない自分、
それでも何か、存在価値を作りたくて、だから、僕は努力で何かをできるようになるのではなくて、両親に愛想を振りまき、ご機嫌を伺い、黙って言うことを聞き、
黙って馬鹿にされて、良いようにサンドバッグ(物理的ではなく精神的に)なり、幼い小さくて可愛い自分を演じて。
自分の居場所、存在価値を作ってきたんだろう。
そう言えば、そのころは、だめな自分が、両親に迷惑をかけたら捨てられると思ってたのか、いじめられても、親に言えなかったな。
どう考えても意味不明じゃん、自分って今まで思ってたけど、
その不可解な行動の裏には、ちゃんとした理由があったんだよな。
きちんと生きるために、俺、僕、自分は頑張っていたんだな。
でさ、その小さい頃にやってきた生存戦略はきちんとした意味があって、それは効力を発揮していたわけだけど、今は悪になっている。
頑張らないことで、弱くて小さくて可愛い自分になって、
生きてきたけど、それはもう無理だ。
今までの、人生なんて捨ててさ、強くなって、成長したい。
そして、自分の人生を1から作り上げていきたい