生きるためには、

過酷な環境では

生きるために、感覚、感情を殺す必要があったりする。

 

自分もそうだった。

今思えば、あれは虐待だった。

それも精神的な虐待だから、周りからあまり心配されることはなかったし、

でも行動や、能力、思考、態度、言葉なんかがおかしかったのを、今でも覚えている。

 

当時は、本当に勉強も、運動も、友達関係も何もかも上手くいかない。

うまくいかないどころか、虐められていたんだから、そんなもんじゃないね。

家では精神的虐待、学校ではいじめ、

助けてくれるべきである親や、先生にさえ虐められていたんだ。

 

先ほど「今思えば」って書いたが、そう、その当時はそれが異常だと思っていなかった。むしろ、これが「普通だ」と思ってた。

確かにちょっと苦しいって思ったこともあったけれど、「自分が悪いから」って真面目に信じてた。

 

でも、本当に、本当にあの当時の自分に伝えたい、「お前は悪くない」って。

いや、多分そんな境遇にいる人たちはたくさんいるだろうから、その人達へも。

 

だって、小さな小学生を、そんなみんな寄ってたかっていじめるなんて、本当に狂ってる。それは確かに自分がヘニョヘニョで、いじめられても必死にニコニコしていたから、傷ついていないように見えて、だからもっとやっても大丈夫だって思ったのかもしれない。

だとしても、だとしても、それはダメなことだろうよ。

 

で、その時に気持ちを押し殺してきたおかげで、自分は自分の気持ちも好きなことも、

やりたいことも食べたいものも、何もなくなってしまった。

 

つまり、生きてるようで、死んでたってことさ。

それは多分、10年近くその状態だったと思う。

 

今は、完全に人生を取り戻したように思う、多分ね。

で、何をやったって、結局当たり前のことでしかなくて、

自分の気持ちを聞くってこと。

 

でも、最初はそんな簡単ではなかった。

何をしたいかわからなくて、とにかく、適当に、自転車で出かけるみたいなことをしていた。

自由だって、初めて感じだ。

知り合いがいるような場所じゃないから、人目も気にせずに、好きなように過ごした、

あれのおかげで、自分は自由に生きたいように、生きてもいいって思えたね。

 

逆に言うと、それまでは自分の人生は親のもので、親の言うことを聞かなければいけないって思ってたってこと。