どんな思いで、生きて来たか、一度でも想像したことがあるか?

僕の人生は、ずっと惨めだった。

家庭では、ほぼ毎週夫婦喧嘩だし、勉強や運動の良くできる兄と比較され、

そして父からはいつも馬鹿にされ、母からは怒られ、

惨めだった。

 

でも、それでも自分は幸福なんだと言い聞かせていたように思う。

自分は運がいい、幸福だって。

だって、そうでも言っていないと、自分の惨めさに気づいてしまうから、

でも逆にいうとそれって、結局あの頃から惨めさに気づいていたんだろうな。

 

僕は勉強も運動も、できなかったから、そこで勝負せずに、

違う舞台で勝負した。

とにかくいい子になろうとして、学校のクラスでの喧嘩を止めようとしたり、

最近知ったのだが、あの頃は何かのイベントにおいてクラス代表を買って出るような真面目ないい子だったようだ。

自分さえ良い子でいれば、家族は仲が良くなって、自分も評価されるだろうって思ってたんだろうね。

 

まあ、そんなことしたって惨めなのは相変わらずだし、

父親から怒られる回数もとっても多かったし、何で怒るかわからないし、

とにかく怖かったことが記憶にある。

今思えば、僕が悪いから父親が怒っていたのではなくて、ただ仕事でのストレスを、

逆らわないのがわかっている僕で解消していたのだろう。

悔しいね。

 

まあ、そんな子供だから、子供らしいことはしたことがなかったような気がする。

こんなふうに行動すれば、きっと気に入られるだろうって、年齢なりに打算的に行動をしていたと思う。そのせいか、祖母から君は人によって態度を変えるね的なことを言われたのを覚えている。

そんな行動を幼い子供が取らねばならない異常な環境にいるんだと、そこまでの考えが及ばず、ただのずる賢い子供だっていう印象を抱いていたようだ。

思えば、その頃から、祖母を嫌悪し始めたように思う。

 

とにかく良い子でいたかった自分は、学校で何かあっても、例えばいじめられても両親に相談することはなかった。迷惑をかけてしまうことになるし、そうなれば捨てられるかもしれないって、本気で思っていたんだと思う。健気だね。

 

なんだかんだあって、父親が単身赴任になって何処かに行っている間は、落ち着いていたように思う。あの時は担任の先生もいい人だったおかげで、本当に救われた。

もしあの人が自分の両親であれば、全く違った人生を送っていたことだろうって、今でも思う。

 

中学校に入って、もっと惨めになった。

あの頃の自分は本当に最低だったように思う。

やってがいけないことをしたし、

でもそうでなければ、きっと今この世にいなかったと思う。

自傷行為もしていた、あの当時はそれがそうだと知らなかったけれど。

 

自分への価値を感じられない人は、きっと他人への価値も感じられないのだと思う。

だから簡単に他人を傷つけ、そして自分さえも傷つける。

 

部活動は一応運動部だったが、あいも変わらず運動は苦手で、ずっとダメダメのほぼマネージャー状態だった。

それでも真面目に雑用をこなしていたおかげか、先輩には評価してもらえた。

嬉しかったな。

 

まあ、ただいつも父親にいいように使われていたから、奴隷根性は身についていたし、

それに対して嫌だと思ったこともあったけど、文句もほぼ言わずに続けていた。

 

自己評価が低いから、自分にそのような雑用が相応だとさえ思っていた。

三年間続けて、得点は2点だけだったかな。

ずっと続けていたのに、正直悲しいし、情けない。

まあ、ただ向いていなかったんだろうな。

 

いや、それは言い訳か、努力することに、いいイメージがなかったからね。

努力よりも、才能で、才能のない自分が努力しても意味がないって思ってた。

 

でも辞めることは、一度も思いつかなかった。

自分にとっての取り柄がそれしかないのを自覚していたからね。

 

あ、今思い出したけど、中二の時にとんでもなく悪いテストの点数で、次も悪かったら部活やめろって、説教されたな。結局、勉強せず悪い点数だったけど、辞めることにはならなかった。

それも今思えば、ストレスを発散する理由として、自分の悪い点数がいいところにあったからだろう。別に本気で自分を思ってくれているんじゃなくて、ただ説教がしたかった父親。

 

なんだかんだあって、高校はまあ真ん中よりちょっと下くらいのところに入った。

その頃から、僕ら兄弟に諦めがついたのか、特に父親から成績や何かについての文句は少なくなったように思う。いや、もしかするとただその環境に適応して、文句を言われるような行動をしなくなっただけかもしれないけれども。

 

またまた振り返っている途中に思い出したけれど、そういえば僕はTwitterで友達を作っていた、それも女友達。ラインを交換して、できるあいだはずっとLINEをぽちぽちしていた。それもきっと愛情が欲しかったからだと思う。

相手を褒めれば、嬉しがってくれて、そして簡単に好きだのなんだのと言っていたように思う。そしてそれに喜ぶ相手を見て、なんて愛情に飢えている可哀想な子供なんだって、上から目線で見下していた。

本当は自分がそうだったのにね。愛情に飢えている、可哀想なこどもはお前だよ。

 

今思えば、僕らに興味がなくなった両親の代わりを、本能が探していたんだと思う。

でも、結局、愛情に飢えた人間同士ができるのは、お遊び程度の恋愛でしかない。

本当に愛し合うことなんて所詮無理だった。

本当の恋愛ではなく、相手に好きと言わせるゲームを楽しんでいたんだと思う。

最低だな、おれ。

 

それを、数年続けていた。

自分を求めてくれる相手を、彷徨って探していた。

そういえば、リアルでの恋愛は皆無だった。

自信のない自分は、ずっと待ちで、好きな人がいても、自ら動いたことはない。

相手から来るはずのない告白を妄想して、カッコつけていた。

 

そんな残念な自分が、態度でかくいれるのがネットでの恋愛だった。

簡単にかわいいねとか言って、好きとか言って、そんで付き合うようなことをしたいたね。

 

でも、そんな行動も、確かこうさんの秋にはやめた。いろいろあってね。

あと、単純に、リアルで、自分を好いてくれる女の子がいて、

その子とたくさん話すようになったからだったと思う。

楽しかったなあ。

 

あと、その子じゃないけど、好きな人がいて、その子を見るために毎日学校に行っていたまである。とっても美人な子だった。そしてその子に、体育大会の時のリレーで頑張れって言われてとっても嬉しかったことを数年経った今でも覚えている。

 

まあ、なんだかんだあって、卒業。

大学は、第二志望のところに入った。もちろん、やる気もなく、ただ勧められたところ受けて、そこにうかっただけ。モチベーションなんてあるはずがない。

 

友達もできず、ただ怠惰に過ごしていた。

時間もできたので、授業のない夏休みは、またTwitterで女の子を漁っていた。

もちろん、今度は欲望を解消するためにね。

自分は愛情に飢えていたから、愛情に飢えている相手の気持ちが手に取るようにわかった、どんなことを言われたくて、そしてどんなことを言えば、相手は受け入れてくれるのかを。

だから、結構簡単にデートというかホテルに誘うことはできた。

多分、4人くらいだったけな?

 

いや、ここまで来たけど、タイトル回収をしようか。

大学生になってから、父親からの命令が激しくなった。

何々をやれ、やれ、文句を言うな、俺が誰だと思ってる、お金を出しているのは誰だ。

僕の意見を一度も聞かず、ただ世間で正しいとされているようなことを、とにかくやれって命令をして来た。

もちろん、自分はそれに反抗することができず、とはいうものの、それをすることができず、苦しんでいた。

 

毎週のようにそれがあり、一時期は病院に何かは伏せるが何処かが悪くなり

病院に行くまでの症状がなった。

本当に苦しかったけれど、自分はそれに反抗できなかった。

それに反抗すれば、自分は生きることはできないって本気でおもっていた。

 

それが2、3度続いた後、事件が起きた。

思い出したくもないものだ。いや、事件って言っても警察が絡んだりする奴ではないよ。でも、自分にとっては、その後の父親への見方を変える、大きな事件であった。

 

幻滅した、結局この怪物は、僕たち家族のことを思っているんじゃなくて、

ただストレス解消の道具としてこれまで使って来たんだと気づいた。

僕たちのことを、家族と思っていないんだなって。

 

そこから、僕はほぼ世間との関わりを絶った。

正確にいうとちょっと違うけれども。

 

でだ、その独裁者である、彼は、、なぜあんな行動をしたのだろうか。

僕に気持ちがないと思っていたのだろうか。